「食べ残しはだめ」食品の浪費に全力を挙げる中国

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多くの人が中国で食事をする時は少し残すのが文化、食べ物をすべて平らげるのは失礼にあたる、ご飯を少し残すのがマナーであると思っている。言い換えれば、出された食事は残さなければいけないと思っている。この考えが長い間続いてきた。そこで今回上記のニュースが飛び込んできた。するとTwitter上では、戦争の準備を始めた、戦争のために食糧確保をし始めたんだなどという人が多く見られた。僕は日頃からご飯を残すのはもったいなくない?と思っていた。中国人の知り合いになぜこの食べ残しが長年行われてきたかを尋ねた。すると客をもてなすためにたくさんつくる、もし平らげてしまうと客は物足りないという意思表示だと見なす、多めに作って少し残すということはこんなに私がお腹いっぱいになるほどたくさん作っていただきありがとうございましたという表現になるのだという。なるほどなと思いつつも、やっぱりもったいないと感じる。そこで習近平国家主席が目をつけた。中国は約14億を抱える国家だ。やはり廃棄の量もその分多くなってしまう。食べれない量を作ったり注文したりするより、食べられる分だけ作ったり注文したりしようという政策に切り替えた。また現在世界的に見ても食糧危機にさらされている。そのおかげで、ネット上で人気となった大食い系の動画を「食べ物を無駄にする極端な事例」と批判した。

中国は世界的見ても人口が多いので、世界有数の食料生産国であり、食料消費国でもある。食料不足を補うため、輸入に頼っている部分もある。しかし貿易面と政治面の摩擦によって、アメリカ、カナダ、オーストラリアとの関係が悪化しているようだ。以前は客をもてなすために食べきれないほど大量の食事を提供していた。その一方で肥満が急激に増加してしまった。そこで最近では、食べ放題店の中には料理を食べきれなかった、または残し過ぎている場合には追加料金を支払わなければならないところも出てきたらしい。また食べきれなかった料理を持ち帰る運動も広がっているという。面白いのは拡散の仕方にもある。ある人が食べ終えた皿を写真に撮りSNSに投稿した。するとそれを見た人たちがどんどん真似をしてあっという間に流行ることになった。もはや「綺麗に食べないとダサいよね、クールじゃないよね」という雰囲気を漂わせるようになったのだ。一種の流行として捉え、綺麗に食べない人はクールじゃない=運動に賛同しない人たちと見なそうとすれば、自分も他人事とは思えなくなるだろう。そういう風に1人1人がクールになれば食糧危機に対して真剣に考えるようになるのだ。

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何のために中国語を勉強するの?

中国人と交流するため?

中国が好きだから?

中国人が好きだから?

中国に留学するため?

中国で働くため?

中国でビジネスするため?

「何のために中国語を勉強するの?」と聞いてくる人が時々いる。会話の入り口として気軽に訪ねてきただけで、別に答えを欲していない場合もある。また本当になぜかを尋ねてくる場合もある。また中国語が聞こえてくる人や中国嫌いなので聞いてくる場合も少なくない。ただ多くの場合、この質問をしてくる人は「中国嫌い」が多い。だからとりあえず質問してくるものの、こちらが答えているとほぼ話を聞いていない。だから適当に答えて流すのがいいのだろう。しかし「嫌い」ならば、なぜいちいち質問してくるんだろうか?嫌いなら嫌いで、放っておいた方が精神的にも身体的にも楽ではないだろうか。

では「何のために中国語を習得するの?」に対する答えはどのようにするべきだろうか?これには那種類かの答えを用意するのがいい。そして解答は人によって変えるのだ。例えば、

中国嫌いな人に対して:なんとなく・・・、仕事に活かせるかなと思って・・・

とりあえず会話の入り口として聞いてきた人に対して:第二外国語で学んでいたから趣味で・・・

中国好きな人に対して:(真面目に答える、内容は個人による)

というように。このように人によって解答を変えれば自分も相手もストレスなく会話が出来るだろう。相手が聞きたくないことには深く答えずに済む。相手が聞きたいことには素直に深く打ち明ける。そうすればお互いお互いに気持ちよく快適に会話を楽しむことが出来るのだから。

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皆と同じじゃないといけないのか?

あの人ができるんだからあなたにもできる

あの人がこれをやっているからあなたもやるべき

あの人が出来ないからこそあなたがやるべき

お前がやらないなら誰がやるんだ

なんでみんなができるのにあなたはできないの?

みんなができないならできなくてもしょうがない

上記のフレーズを他人から言われたことがある人は多いのではないでしょうか。昨今ではこれらを総称して「同調圧力」と呼ばれることが多い。簡単にいうなら、右向け右ということ。みんなが右を向いているのにあなただけが左を向いていたらあなたはダメなんだとみなされる。これが多種多様な言い方をして襲いかかってくる。

僕は上記のフレーズを聞くと思うことがある。それは

あの人ができることをなぜあなたにもできければいけないのか?

あの人がこれをやっているとなぜあなたもやるべきなのか?

あの人が出来ないからこそなぜあなたがやるべきなのか?

お前がやらないならなぜ誰かがやらなければならないのか?

なんでみんなができたらなぜあなたもできなければいけないのか?

みんなができないならなぜできなくてもしょうがなくなるのか?

 僕自身はもっとシンプルで考えてもいいのではないかと感じる。例えば、

あの人ができるならあの人に任せよう、自分は違うできることをやればいい

あの人がやっているということはあの人が得意なのかもしれない、では自分が得意なことを探そう

みんなができるのに自分だけができないなんてある意味才能だ、逆に自分だけが出来てみんなができないこともあるかもしれない

 というように。だからみんな違っていい。短所は改善されにくいから短所なのだ。反対に言えば、長所や得意(特技)はいくらでも伸ばすことが出来るから長所になる。そう考えれば、自分なりの長所や出来ることを一生懸命伸ばせばいい。

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何のために中国人と交流するの?

中国人と交流して何の役に立つの?

中国人と交流して何が面白いの?

あっ、中国人が好きなのね・・・

中国語を学びたいの?

中国人と日本人、どっちが大事なの?

と疑問が沸く人は少なくないのではないだろうか。僕にはそれが政治的な問題から来るのか、中国人が好きではないからなのか、単純に質問したいのか、自分も中国語や中国人に興味が沸いてきたのかはわからないが。ただ実際に僕がこれまで自己紹介をし相手から趣味や経歴を尋ねられ、「中国に留学していまして・・・」「中国の〇〇に興味があります!」「中国語を勉強しています!」と言うとほとんど次のような反応が返ってきた。「あっ・・・はい・・・」「そ、そうなんですね・・・」「中国ってさー怖くないの??」と。つまり「あっ、この人は私たち一般的な日本人とは異なった変わった人なんだ」という目線になる。極端にいうと、この人と関わると危険だぞ、というレッテルが貼られる。しかしそういうレッテルを貼られても気にすることはない。「この人はそういう風に物事を見てるのだな」と理解するだけでも十分だ。そしてその人と交流してもいいかどうかを決めればいいのだから。

では僕が中国人と交流する理由とは何か?

・現時点で自分にないアイディアを学ぶ

僕は日本で学んだ良い部分と国外に出て学んだ良い部分を融合させたいと思う。日本にはいいところと悪いところが当然ある。それと同様に海外、どの国々にもいいところと悪いところがある。日本にいては知ることがなかった海外のいいところを積極的に取り入れたい。それはアイディア、価値観、影響力、仕事の仕方、勉強方法などあらゆる角度から学ぶべきことがたくさんある。したがって日本が世界一の国だから海外から何も学ぶ必要がないとは思わない。たとえ日本が世界一の素晴らしい国と人種だったとしても、僕は可能な限り、学べることは吸収していきたい。

日本は島国国家なのは言うまでもない。それが原因で日本国内の常識やマナー、当たり前が世界の常識、マナー、当たり前だと思っている節がある。だから日本独特の凝り固まった思考が出来上がってしまう。日本のルールが世界共通の揺るぎないルールだと思っているので、日本を基準、標準、水準として世界や外国人を評価してしまう。これは非常に危険だと思う。人間は誰しも完璧ではない。だからこそ時間、機会、人間社会がある限り学び続ける必要がある。もちろん学んだ後にあなたは取捨選択をすることができる。これは取り入れていい価値観、このやり方は自分のアイディアの方がいいなと。このように人生を勉強の連続とすれば、外国人との交流が有意義になるだろう。

・中国語を聴く&話す

これはわかりやすいだろう。語学向上という理由から交流する。しかしそうは言っても簡単ではない。なぜなら双方にメリットがないといけないから。こちらは「あなたと中国語で話したい」「あなたと友達になりたい」「あなたの話を中国語で聴きたい」という意思を伝えなければならない。それを相手から承諾してもらい、会話をして楽しませなければならない。つまり相手に自分に対して興味を抱かせなければならない。でないと時間も約束も取り付けてもらえない。双方のメリットが合致した時、ようやく楽しくなる。

・一般的に言われる「中国」を自分の眼で確認する

一般的に言われる「中国」のイメージは次のようなものではないでしょうか?

なんかこわくないですか?

監視社会って聞いてますけど・・・

マナーが・・・

声が大きくない??

よくわからないけど印象が悪い

 僕も友達や知り合い、クラスメイト、同級生などによく言われたものです。多くの人がこのように考えるのは当たり前だ。日本人が比較的関心があるのは欧米諸国なのでアジアに目がいかなくなる。注目したとしても政治的に衝突している場面だけだろう。その時になって初めてニュースで見るくらいだ。(今年は「中国」に関するニュースが多くあるが・・・・)

だからこそ

自分の眼で中国を見たい

中国とはどんな国でどんな人がいて、自分とどのような交流が出来るかを体験したい

中国人と日本人がどうすれば仲良く出来るかを考えたい

のだ。このようにネガティブ感情で物事を考えるよりポジティブ感情で考える。そうすることで双方ともに気持ちが良いのだから。

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「日本」と「日本人」と「あなた」

近年、『Youは何しに日本へ?』や『こんなところに日本人』など、 日本称賛番組が激増した。これはすでに多くの人が気づいているだろう。ただ問題なのが、日本を称賛しすぎているところだ。自国を褒めているので、あたかも「視聴している自分自身」が褒められていると勘違いし錯覚してしまうのだ。そのおかげで日本は素晴らしい=日本人は素晴らしい→自分は偉い/素晴らしい、という構造を生んでしまっている。もはや「日本は世界一素晴らしい国」であり、「日本人は世界一素晴らしい人間」であり、そこに所属している「自分は最強だ」とすら思っている人もいるだろう。しかし僕が次のように思う。それは『世界の人が称賛していのは「日本」や「日本人」であって、「あなた」個人ではない。』ということ。具体的に言えば、外国人が称賛しているのは日本の行き届いたサービスや食文化をはじめとしたことだろう。言い換えれば、日本人にとっては当たり前のことが自国では当たり前ではなく、日本特有の恩恵が受けられることに満足するのだと思う。

 このことから外国人の満足ポイントは「日本/日本人」の良さではあるが、「あなた」ではないとわかった。だからこそ外国人により満足してもらうべく、あなた自身が貢献できるような能力を向上させる必要があるだろう。(かくいう僕はより頑張る必要がありますね)

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留学したからといって外国語は話せるようにはならない

あなたの友達や同僚、クラスメイトなどに「留学したけどそんなに外国語が上手ではないな」と感じる人がいるのではないでしょうか?「えっ、この人は本当に留学してたの??」みたいな。この感想はたしかに間違えていないと思う。正直なところ、僕も留学したのに上手ではない部類に入ると思う。ただ一方で、留学経験者の中にはこう思う人もいるのではないか。「よくもそんなこと言えたもんだ!留学したからってペラペラになるのは難しいんだ!」と。その気持ちもよくわかる。

ではなぜ「留学したからといって外国語は話せるようにはならない」のだろうか?僕はその理由を「習慣を理解した」に過ぎないからだと結論に至った。例えば、スターバックスに入ったとする。注文するには決まった定型文を使って店員さんとやりとりする。下記の例を見ればわかりやすいだろう。

店員さん「いらっしゃいませ、メニューはお決まりでしょうか?何になさいますか?」

あなた「〇〇フラペチーノで」

店員さん「サイズはどうなさいますか?」

あなた「トールで」

店員さん「こちらでお飲みになりますか?お持帰りしますか?」

あなた「持ち帰ります」

店員さん「以上で、〇〇円になります」

この一連のやりとりを理解しているだけに過ぎないのだ。例えば、注文する時は何を聞かれて何を答えればいいの?コンビニやスーパーマーケットのレジではどういうやりとりが行われるの?デリバリーの電話ではどのようにやりとりすればいいの?このようなことをわかるようになるに過ぎないのだ。だから途端にフリートークになると慌てふためいてしまう。

反対に「留学しさえすれば外国語が上手になる」と思っている人は下記のように思っていないだろうか?

国語学科の人は総じて外国語を意のままに操れる

文学部であれば誰もが小説を執筆できる

法学部は六法全書を全て暗記し法を裁ける

経済学部を卒業するとお金持ちになれる

政治学部は政治家になれる

農学部は栽培技術に長けている

体育学部はオリンピックで金メダルを獲得できる

 バカにしてるのか??と思われるかもしれないが、ロジックは同じだ。

留学して得るものは外国語が流暢になることではない。その国の1つ1つの習慣ややりとりを理解したに過ぎないのだ。よって留学経験者に対して「留学したから外国語は話せる」という期待をしない方がいいだろう。

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外国語の発音の良し悪しを決めるのはあなたですか?

日常生活上またはTwitter上で気になることが1つある。「発音の良し悪しを決めるのは日本人のあなた」ですか?日本人Aさんが日本人Bさんの外国語を聴いて「あいつの発音おかしくない?」「あいつの英語/中国語/スペイン語下手じゃない?」「あいつの話なんだか聴きとれなくない?」という。そこに疑問が沸いた。「発音の良し悪しを決めるのは外国人の相手側じゃないか?」ということ。考えてみてほしい。日本人のあなたとネイティブスピーカー、どちらの発音が正確か。当然ながらネイティブスピーカーにかなうわけがないだろう。

また外国語の発音の良し悪しを決めることは根本的におかしい。他人の発音を判断するということはいわば優劣をつけるようなことだ。つまり勝負・競争している感覚に近いのではないか。良い悪い・勝ち負け・優れている劣っている・・・・。外国語を学習する目的を考えてほしい。あなたが外国語を学習する目的は誰かと比較して勝つことなのだろうか。そうではないと思う。自分の人生において必要性に迫られたからなのではないか。例えば、職業上使う必要がある、留学しに行く、字幕なしで外国語を理解したい、外国人と英語/中国語/スペイン語などでコミュニケーションを取りたい・・・。他人の発音の良し悪しが気になってしまう心理は何なのか。そこにはきっと自分の発音に自信がないため他人が気になるのではないだろうか。他人より自分はマシだと確認したいのだと思う。言い換えれば、他人より優位に立つことで安心感を得られる。だから他人を判断したくなる。自分がやるべきことを淡々とやることの方がもっと重要だ。
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